吃音者の会に疲れる
2006年6月9日 映画・読書批評以外の話 話し合いが中心の吃音者の会においても、私は疲れてきていた。なにか私が想ったことを言っても、聞きっぱなしにはしてくれないで、即座に反論や評価が返ってくる。私は吃音者の会でもなかなか自らの想ったことや考えていることを表すことができなかった。しかし、やっと、吃音者の会でも本音を言えた。ACなどの言いっぱなし、聞きっぱなしのグループならば、自分の気持ちを吐露しようが評価はされないのだ。なのに吃音者の会は話し合いが中心だがゆえに必ず他人が評価する。私が話したそばから、他人は自分の意見を言う。私の想いを否定する。今までは私は吃音者の会での様々な考え方・立場の人達にも合わせてきたが、もう、それもしたくない。私が本音を言うと会に居づらくなると思って、自らの吃音に対する考えも述べずに、他者の主張に合わせてきたが、もう、そんなことをする必要もないだろう。たかだか吃音者の会ごときで私が疲れさせられるのも馬鹿馬鹿しいのだよ。
なぜ吃音者の会の方たちは自分たちの意見を人に押し付けようとするのか。吃音は治らない、とか、喋れば喋るほど吃音は治っていくとか。私はそんな考え方を聞くたびに尊重してきたが、私がその考え方を尊重すれば、まるで私がご自分の説の信者になったみたいにお扱いになる。私が同調しなければ「キミは分かっていない」と言わんばかりの態度をお取りになる。
私はこれからは言わせてもらう。会にいづらくなったとしても、意見を合わせ続け息が詰まりそうになるのよりも、ましであろう。
なぜ吃音者の会の方たちは自分たちの意見を人に押し付けようとするのか。吃音は治らない、とか、喋れば喋るほど吃音は治っていくとか。私はそんな考え方を聞くたびに尊重してきたが、私がその考え方を尊重すれば、まるで私がご自分の説の信者になったみたいにお扱いになる。私が同調しなければ「キミは分かっていない」と言わんばかりの態度をお取りになる。
私はこれからは言わせてもらう。会にいづらくなったとしても、意見を合わせ続け息が詰まりそうになるのよりも、ましであろう。
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