いまだに吃音の会には相変わらず出ているわけで、つい今さっきも行ってきた帰りであるわけですが、私は常識的な言語治療の考え方では飽き足らないわけです。生理学だ脳科学だと。自然主義的な一面的な見方ではね。
 この前に出席した横浜における会合では、「今年の吃音抱負」というものを一人ずつ言わされまして、私は「スピリチュアルな視点で吃音を捉える」とはっきり言ってやりました。職業として占い師を選択する者が、吃音をスピリチュアルな視点で捉えるのも当然なのですが、やはり会では言いづらいのですね。
 しかし、年頭にこのようにはっきりと言えたことは、たいへんすがすがしかったわけです。
 でも、哲学的に吃音を捉えるということについては、言い忘れました。メルロ=ポンティなどの実存主義、現象学のような立場で言葉を捉えるということもね、奥が深いのですね。

コメント

nophoto
scatman072
2007年1月14日23:15

「スピリチュアルな視点で吃音を捉える」ですか。難しいですね。輪廻転生の考え方だと、魂の成長の為に難病の役(人生)を演じさせられるとか、カルマの解消だとかいう考え方がありますね。でも僕はおばかちんなので良くわかりませーん!

のぶすけ
のぶすけ
2007年1月15日22:24

scatman072さん
 そうですね。輪廻転生の考え方では魂の成長のためでしょうね。私もそのような考え方は持っていますよ。しかし、精神世界といっても、なにもそれだけではありませんので、その考え方一つにはこだわっておりません。
 

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