いまだに
2007年1月13日 映画・読書批評以外の話 コメント (2) いまだに吃音の会には相変わらず出ているわけで、つい今さっきも行ってきた帰りであるわけですが、私は常識的な言語治療の考え方では飽き足らないわけです。生理学だ脳科学だと。自然主義的な一面的な見方ではね。
この前に出席した横浜における会合では、「今年の吃音抱負」というものを一人ずつ言わされまして、私は「スピリチュアルな視点で吃音を捉える」とはっきり言ってやりました。職業として占い師を選択する者が、吃音をスピリチュアルな視点で捉えるのも当然なのですが、やはり会では言いづらいのですね。
しかし、年頭にこのようにはっきりと言えたことは、たいへんすがすがしかったわけです。
でも、哲学的に吃音を捉えるということについては、言い忘れました。メルロ=ポンティなどの実存主義、現象学のような立場で言葉を捉えるということもね、奥が深いのですね。
この前に出席した横浜における会合では、「今年の吃音抱負」というものを一人ずつ言わされまして、私は「スピリチュアルな視点で吃音を捉える」とはっきり言ってやりました。職業として占い師を選択する者が、吃音をスピリチュアルな視点で捉えるのも当然なのですが、やはり会では言いづらいのですね。
しかし、年頭にこのようにはっきりと言えたことは、たいへんすがすがしかったわけです。
でも、哲学的に吃音を捉えるということについては、言い忘れました。メルロ=ポンティなどの実存主義、現象学のような立場で言葉を捉えるということもね、奥が深いのですね。
コメント
そうですね。輪廻転生の考え方では魂の成長のためでしょうね。私もそのような考え方は持っていますよ。しかし、精神世界といっても、なにもそれだけではありませんので、その考え方一つにはこだわっておりません。