空中ブランコ

2009年12月4日 日常
 空中ブランコとかいうテレビさっきやっていた。アニメみたいな。深夜に。

 強迫性障害の症状をもつルポライターが主人公で、取材中にも自宅の灰皿のタバコの火を消したのかどうかがどうしても気になり、取材をほっぽりだして自宅まで確認しに戻っていってしまうと。

 タバコの火が大丈夫と分かって気を取り直して再び外出すると、今度はヤカンの火が気になったり、電気のコードがショートして火事になるのではと気にしてみたり、そのたんびにいちいち確認しに自宅に戻る。

 観ていて、つらそうだった。
最初、強迫性障害を馬鹿にした番組なのかと思い、不快な気持ちもあったが、底なし沼のようにどんどんとはまっていく強迫の症状をよく捉えていて、当事者ながら観ていて感心した。

 強迫は本当に辛いですよ。確認しても確認しても、次から次へと新たな心配が生まれ、きりがない。
 これは、本人にしかわかりません。心の内界で本人がどれだけつらい思いをしているか、はたから見てもわかりません。
 何度も何度も同じことを確認する、その行為ははたから見れば、滑稽なものに映るでしょうね。
 強迫観念が湧き出てきたときの、あの独特の感覚は、言葉に表すことができません。
 同じ強迫のお仲間なら、きっと分かってくれるだろうね。

 空中ブランコでは主人公が病院に行くけど、先生はカウンセリングもしようとしないし、薬の処方もしようとしない。
 行動療法と称して、ライバル病院の塀の外で石を投げつけさせるだけ。

 一見、強迫を馬鹿にしているような番組でありながら、意外と本質を突いているのかな。
 カウンセリング?薬?そんなものは気休めなのかもしれない。形にはまった治療法で治せるほど強迫はお手軽なものではないから。

 ライバル病院に石を投げたり、ライバル病院の院長の車のタイヤに小細工をするというインチキ行動療法のおかげもあってか、主人公はしだいに強迫を受け入れていく。強迫行為を行うときのあの特有の「せかせか」した感じも、主人公からはしだいになくなっていった。

 自宅の火の始末とか、水道の蛇口とか気になるなら「だれかに一緒にいてもらえばいいじゃない」と最後に医者が言った。「だれかにお嫁に来てもらえばいいんだよ」と。

 そうだね。そうなのかもしれない。
私たちは完ぺきになんでもこなそうとするから。強迫をもっているとね。一人ですべて把握して、なんでも完ぺきにね。
 
 お嫁さんに来てもらう、そんなのもアリだな、と思った。

 

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