蹴りたい背中

2005年10月24日 読書
ISBN:4309015700 単行本 綿矢 りさ 河出書房新社 2003/08/26 ¥1,050
『インストール』で文藝賞を受賞した綿矢りさの受賞後第1作となる『蹴りたい背中』は、前作同様、思春期の女の子が日常の中で感受する「世界」への違和感を、主人公の内面に沿った一人称の視点で描き出した高校生小説である。 <p> 長谷川初実(ハツ)は、陸上部に所属する高校1年生。気の合う者同士でグループを作りお互いに馴染も…

 芥川賞を受賞したということで読んでみた作品。というか、綿矢りさは著者近影の写真を見ると、まるでアイドルというかタレントみたいですね。とくに『インストール』のほうの写真が、かわいかったです。頭が良さそうだし。素敵です。
 さて、この本についての批評はどうしましょう?・・・まあ、ボクも背中を蹴っていただきたい、ということでいいかしら?

残りの雪

2005年10月24日 読書
ISBN:4101095108 文庫 立原 正秋 新潮社 1980/07 ¥820
レビュー

内容(「BOOK」データベースより)
夫は、なぜ失踪したのか?理由なき別れに苦しみ、無為不安の日をおくる里子に一条の愛の光が射しこむ―坂西浩平、40代の会社社長で、骨董の目利きでもある男との出会いである。妻子を捨てた夫と、年上の女との情事が日々うつろなものに変っていくのとは対照的に、二人の愛は古都鎌倉の四季の移ろいの中で、激しく美しく燃え上がった。男女の宿命的な愛を鮮烈に映す長編小説。



 立原正秋の本は一冊しか読んだことがない。この作品だけである。立原正秋は、どうも一時期、僕の家の近くに住んでいたようである。だから親近感もわくのである。
 しかし、作品の内容はどうも大人の恋愛を描いていて、僕はなんだか背伸びしないと内容についていかれない感じもしてしまう。どちらかというと、この作品にでてくる工藤という青年のほうの気持ちが良く分かるなあ。工藤は女性に対して、「母親」のぬくもりを求めていた。
ISBN:4773707984 単行本 丹野 裕文 健友館 2003/08 ¥1,680
レビュー

内容(「MARC」データベースより)
吃音体験者だった著者が説く究極の「吃音」克服法とは? 「一週間克服メニュー」として実体験をもとに「吃らない自信」を持つ方法を解説した第1部と、吃症状になってから改善するまでの半生記をまとめた第2部で構成。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
丹野 裕文
昭和12年、東京都荒川区に生まれる。父そして著者の兄弟も歯科医師という“歯医者さん一家”で育つ。同34年、東京医科歯科大学付属技工士学校卒業。同43年、日本大学歯学部卒業。現在、横浜市戸塚区で原宿歯科の院長を務めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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目次

第1部 一週間克服メニュー(自信がつく発音の方法
こうすれば絶対吃らない
第一声をスムーズに話す
自信をもってごまかせ ほか)
第2部 私の吃音克服体験記(「ども丹」の中学生時代―吃音克服への目覚め
熱誠との闘いの高校時代―吃音克服へ一歩前進
吃音者の会を設立する―吃音克服へ二歩前進
歯科技工士
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 吃音者の会の創立メンバーの一人である丹野裕文氏の著書。丹野氏が吃音と闘いながら歩んだ青春時代と、吃音者の会の創生期の雰囲気などが、この本から分かる。吃音者の会の創生のころは、学生運動が盛んであった時代であると思うが、吃音をもった学生たちも、吃音と闘い、そうしながら社会に何かを訴えかけ、みずからの青春時代を燃焼させていったのだ。「団結の力で吃音を治す」というような言葉も出てくる。・・・いいなあ、いい時代だなあ。学生運動の時代は、若者たちにも熱いものがあって、なにかの信念のもとに皆、活動をしていったんだなあ。口角、沫を飛ばす、みたいな議論をしながら、皆、真剣にね。
 ・・・丹野氏は、ボクが会ってみたい人物の一人である。
 

人間機械論

2005年10月20日 読書
ISBN:4003362012 文庫 杉 捷夫 岩波書店 1957/01 ¥418

 引用文が見当たらないので引用文なしでいくか。ド・ラ・メトリの『人間機械論』である。人間は機械であると。骨や皮や筋肉などでできているが一種の機械のようなものであると。心というものも、脳という臓器というか物質が映し出している幻影といいますか、脳という機械の部品の働きが「心」と呼ばれるものであると。人間機械は自然界の法則に、物体の運動の法則に従っていると。人間の思考も行動も全てが、天体の運動や、川の流れや、その他もろもろの物体の運動の法則と同じ法則に従っているにすぎないと。
 それでは目的論はといいますと、人間は心といいますか頭といいますか「どこどこへ行きたい」と思ったり考えたりして目的をもって、その目的に従って行動すると。「心」というものが身体から独立しておりまして、ガンダムのモビルスーツを操縦するみたいに「心」が機械である身体を操縦していると。
 しかし、機械論によって「心」で想うということ自体が「脳」という部品の働きに過ぎないということになりますと、もはや目的論というものは機械論にのみこまれてしまいます。
 そんな機械論的な、唯物論のような、西洋医学で「心」の病気がはたして治せるのでしょうか?「心」とは、そんなものなのでしょうかね?
 僕は、心というものはもうすこし違うふうに考えたいです。

歴史哲学講義 (上)

2005年10月19日 読書
ISBN:4003362993 文庫 長谷川 宏 岩波書店 1994/06 ¥735
レビュー

出版社/著者からの内容紹介
「理性が世界を支配し,したがって世界の歴史も理性的に進行する」との確信に基づき,世界精神の理性的かつ必然的な歩みとしての世界史を構想する.

 上巻と下巻とあるが、まあ、両方に対するコメントということで。・・・ヘーゲルは難しいですよ。大学通教の関係でこの歴史哲学の本を読みましたが難解です。歴史の必然としての世界精神は分かります。しかし、僕はレポートを書く段階において即自的に存在する理性を、誤ってキリスト教的な「神」に置き換えて考えてしまい、そこからまったく違う方向へ考えを進めてしまった。「神」をもちだしてはいけなかった。ヘーゲルにおいてはもはや「神」の存在は必要なかったか。
 僕は、てっきり即自的に「神」が可能態として存在していて、「神」はみずからを対自的に現象化するべく旧約聖書の創世記のごとく天地創造をしたのかと思った。そして「神」と「人間」との対自による矛盾・葛藤が今の歴史の状態かと。人間は禁断の果実を食べて楽園から追放され、神と人間はお互いを信じられなくなったからね。でも、それぞれがお互いを信じようと努力し、人間は主体的に神の教えを学んでいって人間たちがみずからの中に「神」をみいだし、そして神がみずからのなかに「人間」をみいだしたときに両者に和解が成立し、即対自的に「神」はみずからの可能性を再認識するのかと思っていた。その過程が歴史かと考えてしまった。しかし、これは間違いだな。これではキリスト教的な歴史観となってしまうから。まあ、これを僕が考えていたのもだいぶ前の話だが。でも、いまだに歴史哲学は難しくて分からないです。

快楽主義の哲学

2005年10月19日 読書
ISBN:4167140039 文庫 澁澤 龍彦 文芸春秋 1996/02 ¥460
レビュー

出版社/著者からの内容紹介
カビ臭い幸福論や哲学に救いを求める時代は去れり。ヒリヒリするような快楽だけが人生の目的。精神的貴族主義を鼓吹する煽動の書

内容(「BOOK」データベースより)
人生に目的などありはしない―すべてはここから始まる。曖昧な幸福に期待をつないで自分を騙すべからず。求むべきは、今、この一瞬の確かな快楽のみ。流行を追わず、一匹狼も辞さず、世間の誤解も恐れず、精神の貴族たれ。人並みの凡庸でなく孤高の異端たれ。時を隔ててますます新しい渋沢龍彦の煽動的人生論。


 つい最近読んだ。先月くらいかな。澁澤龍彦氏は、マルキ・ド・サドの作品の翻訳でも活躍されていました。しかし、澁澤龍彦氏自身もまた魅力的な方です。独特の個性がある。
 さて、快楽に生きたほうがよいそうです。現実原則に従い、自らの将来のためにと思いながら、そして社会にも合わせながら、義務に生きるような感じでは、ダメだそうです。
 ここは一つ、快楽原則に従って、今を生きろと。この瞬間の幸せに生きろと。
 そうなんだよ、前からそう思っているんですが、ボクもなかなか澁澤先生の言うようにできないんですよね。自分で自分に葛藤さ。フロイト先生ならどう言う?やはり現実原則は大切かしら?ボクは超自我的なものに抑えられているようで苦しいです。

きよしこ

2005年7月19日 読書
ISBN:4101349177 文庫 重松 清 新潮社 2005/06 ¥460
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
重松 清
1963(昭和38)年、岡山県生れ。出版社勤務を経て執筆活動に入る。’91(平成3)年、『ビフォア・ラン』でデビュー。’99年、『ナイフ』で坪田譲治文学賞を、『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。2001年、『ビタミンF』で直木賞を受賞する。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々と発表している


 吃音をもった少年のお話。父親の仕事の都合で小学校時代から各地を転々とし、どもりながらも行く先々で自己紹介に緊張し、同級生にどもりを馬鹿にされたりと傷つきながらも、少年はまっすぐに歩く。
 吃音を治す、治さない、といった問題なんか関係ない。吃音があったって、少年はまっすぐなんだ。云いたいことが云えなくたって、友情に葛藤したり、好きな野球に打ち込んだり、少年は少年としてまっすぐに生きていくんだなあ。
 この作品を読んでいろんなこと、感じたなあ。この少年がどもるから、どもるこの少年だからこそ、好きになってくれた女の子も出てくる。どもるこの少年でなければだめなんだな。どもるっていうことが魅力なんだよ。光っているんだよ。
 この少年から、もしも、どもりを奪ってしまったらどうなるのかな。それでもまっすぐに生きるのだろうか。それでもあの女の子の目には少年は輝いて映るのだろうか。
 人間、だれでもそうなのかもしれない。何か障害があったってコンプレックスがあったって、ありのままに生きるから輝くんだな。光るんだな。あなたはあなたのままでいい、ってそういうことなんだな。ありのままの自分を愛せたらいいなあ。

 
ISBN:400324382X 文庫 辻 ヒカル 岩波書店 1966/01 ¥630
内容(「BOOK」データベースより)
Kについてはごく平凡なサラリーマンとしか説明のしようがない。なぜ裁判に巻きこまれることになったのか、何の裁判かも彼には全く訳がわからない。そして次第に彼はどうしようもない窮地に追いこまれてゆく。全体をおおう得体の知れない不安。カフカ(1883‐1924)はこの作品によって現代人の孤独と不安と絶望の形而上学を提示したものと言えよう。


 この本を読んだのは1998年ころ。
 『変身』については、このブログで以前書いた。『変身』については、自分なりの見方を書かさせてもらったが、『審判』については、正直、よく分からない。主人公のヨーゼフ・Kはある日、身に覚えのない罪で逮捕されてしまう。自分でも何がなんだか分からないうちに最後には処刑されてしまう。最後まで何の罪なのだか分からずに。
 ・・・一体、何だろうね?何をカフカは言わんとしているのか?何かの解説には、社会機構という大きな歯車を円滑にまわすには、いくらかの処刑される役の人が必要だ、とかなんとか書いてあったような・・・分からん。よく、不条理という言葉がカフカの作品の説明には使われるが、真面目に努力している市民が、何の必要もなく処刑される、という不条理は・・・話しがまったくこの本から逸れてしまうけど、世の中、なぜ死ぬ必要があるのか?分からずに亡くなるかたが多いですよね。事故とか事件とかで。そういう方々はなぜ死ななければならなかったのか?その意味が分からないですね。人間の棲む世界は不条理だらけです。人類はいまだその答えは分からないですね。宗教などは、それぞれがそれぞれなりに答えをだしていますが。しかし、宗教というのも独特ですから。一般的な視点から見たら。・・・難しい問題ですね。
ISBN:4101028214 文庫 本上 まなみ 新潮社 2004/06 ¥500
内容(「BOOK」データベースより)
自分で貯めたお金を手に本屋に行き、心から恋する1冊を手にしてレジに向かう、お気に入りの栞を挟んでもらってうきうき帰る道の幸せな気持―大の本好きで知られるほんじょが綴る、自由気ままな本のエッセイ。太陽が一杯でご飯もおいしいギリシア旅行記は、プライベート写真や、自筆の可愛いイラストがたっぷり入っています。それから、思わず顔がほころぶ自作の短歌もね。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
本上 まなみ
1975(昭和50)年、東京生れ。大阪育ち。女優。「天国への階段」「恋は戦い!」「人情とどけます~江戸・娘飛脚」ほか多数のTVドラマや、映画「群青の夜の羽毛布」「tokyo.sora」などに出演


 書店の文庫コーナーにあったから、なんとなく買ってみた。僕は電車に乗る時とか、喫茶店で暇をつぶす時とか、なにか一冊は本がないと落ちつかないのである。最近は文庫ではドストエフスキーとかスタンダールとか太宰治とかの作品を買っていたけど、たまにはエッセイみたいのも読んでみようかと思い、本上まなみが書いたものを買った。本上まなみが、ずいぶん昔に書いた作品みたいだけど。
 ギリシア旅行の話とか、食べることの話とか、読書についてとか、いろいろ書いてあった。語り方が自然体でよかった。自分の知り合いのように感じた。
 本上まなみは本が好きなようで、読書にもいろいろこだわりがあるみたいで、文学作品についての本上まなみなりのこだわりも書かれていた。
 こういう知的な女優さんもいいと思った。
・・・そういう僕のコメントの文章は、かなり幼稚だけど。自分で書いていてかなり感じた。幼稚だ。これも自然体か。

神経症を治す本

2005年3月28日 読書
ISBN:4773706856 単行本 斎藤 正弘 健友館 2002/09 ¥1,575
内容(「MARC」データベースより)
神経症を治す方法や情報を探さずに、なにもしないこと! 神経症歴30年の著者が、ついに編み出した「無為療法」。インターネットでの交流で草の根レベルの神経症回復者を出した治療法を紹介。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
斎藤 正弘
昭和19年(1944年)東京に生まれる。山梨大学工学部卒業後、神経症の為に転々と職を変える。平成4年(1992年)に神経症を治す転機を迎え、以後順調に快復。平成9年(1997年)からインターネット上に「神経症を治すホームページ」を主催し、多くの神経症者を救っている


 神経症を治すには「なにもしない」のが一番だと、「治すための努力」を否定する考え方を紹介している本。神経症を治すためには、いっさいの「治そうとする行為」はしてはならない。○○療法と名のつくものをいっさい行なってはならないのである。この先生の考え方においては。治すために情報を集めたり、神経症に関係する本も読んではならない、としている。「治そう」として、必死に何か治すための努力を行なうことじたいが神経症の症状なのだ、と考えられている。
 こういう考え方も、好きだ。面白いと思う。この先生は、精神分析などいっさいの心理分析を否定している。そこが僕とは考え方が異なる点ではある。
 それでも、僕はいろいろな考え方が好きなので、この先生の本も興味深く読んだ。この先生は、みずからが神経症だったのだが、みごと克服されたのである。ご自分の体験をもとに、斎藤療法を創始された。この療法も一つの真理なのだ。
ISBN:4774504122 単行本 須郷 昭 現代書林 2002/03 ¥1,260

 
内容(「MARC」データベースより)
「吃音は体に染み付いたクセに過ぎない」 自身の体験に裏打ちされた理論と驚異的な実績を持つ須郷式メソッド。そのダイナミックな力学的手法を、豊富なイラストでわかりやすく解説。須郷式「丹田矯正法」の理論と効果!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
須郷 昭
青森県弘前市出身。3歳のときに近所の人のどもる真似をして吃音になり、一時は発声不能の状態になる。1952年、日本大学工学部を卒業。以来、24年間サラリーマン生活を送る。この間、吃音の原因を力学的に研究、既成の療法の中から消去法により現在の「生体工学理論」を確立する。1977年、吃音および赤面のための中央クリニック研究所(現クリニック研究所)を開設し、数多くの人々の悩み解消に尽力して著しい効果を発揮する。1998年、吃音矯正に関する実用新案(特許庁より)を取得


 吃音克服のための吃音治療室を開き、吃音者に克服のための指導をしている須郷昭氏の著作である。須郷氏は独自の生体工学的な理論により、吃音矯正を行なうことが可能とし、その内容について著書において言及している。「隔膜バンド」という、ゴムでできたバンドのようなものを用い、腹式呼吸や丹田式呼吸といったものを吃音者に身につけさせようとしている。この本では、「隔膜バンド」を用いた訓練法が詳しく紹介されている。
 ・・・どうも、ボクの知っている限りでは、吃音者の団体などにおいては、この須郷昭氏の隔膜バンドの評判は悪いようである。なかには「インチキ」と否定する声もある。たしかに、この先生のもとで指導を実際に受けた人から、吃音改善には効果がなかった、という話をボクも何度か聞いている。
 しかし、否定してしまっていいのだろうか。なぜ、吃音者の団体の多くの方たちは、自分で指導を受けてもいないのに、インチキと言えるのであろうか。ここで指導を受けたことのある人が言うのなら分かるが、指導を受けてもいない人たちが、こぞってインチキと言うのには、どうも納得ができない。指導を受けていないのならば、インチキとは決めつけることができないはずである。
 ボクは個人的な意見を言うとするならば、この須郷氏の考え方にも関心がある。とても、興味がある。もし、機会があるとするならば、一度はお話をうかがってみたい。吃音治療に関する一つの考え方としては、この須郷氏の考え方も尊重されるべきであると思う。吃音者に対する愛情、吃音治療に対する情熱は、どの先生であろうと同じであると思うのだ。

読書・『魔術師』

2004年11月12日 読書
ISBN:4480030085 文庫 田中 西二郎 筑摩書房 1995/10 ¥836

内容(「BOOK」データベースより)
「意志、愛、想像力等は、万人がもっている魔術的な力ではありませんか。それらの力を最高度に発揮する方法を知る者が、すなわち魔術師です。」今世紀最大の魔術師アレイスター・クロウリーをモデルに、オカルティズム文献を駆使し、渾身の力をこめて描きあげた幻の名作。

 ウィリアム・サマーセット・モームの『魔術師』である。僕は5年以上前にこの作品を読んだ。モームは英国の著名な作家であるが、僕はこの作品だけしか読んだことがない。
 この作品にはオリヴァ−・ハドゥという魔術師が登場するが、そのモデルは20世紀最大の魔術師といわれたアレイスター・クロウリーである。クロウリーとモームは一時期、友人関係にあった。モームはオカルティズムには造詣は深くはないが、モームの描くハドゥは伝えられているクロウリーの姿と重なるようで面白い。クロウリーは天才的な登山家でもあったが、作品中のハドゥもヒマラヤ登山の体験を饒舌に話している。作品でハドゥは錬金術における究極の目的でもあるホムンクルスを創造しようとする。ホムンクルスとは、ようするに、人造人間のことである。このあたりも実際のクロウリーの姿を連想してしまう。
ISBN:4826130155 単行本(ソフトカバー) 伊藤 伸二 芳賀書店 1999/12 ¥1,680

レビュー

内容(「BOOK」データベースより)
自己を受容し、自己を肯定して、素直に自分らしく生きる。吃音者に限らずすべての人々へ願いを込めた一冊。

内容(「MARC」データベースより)
自己を受容し、自己を肯定して、素直に自分らしく生きる。吃音に対する悩みをエネルギーに変え、多くの人々と交流する中で綴られたエッセイを集める。


 自らが吃音者である伊藤伸二さんの書いた本。数多くのエッセイから構成されている。・・・吃音者のセルフ・ヘルプグループの中では、吃音を治そうと発声練習やさまざまな治療法を試みる「吃音改善派」と、吃音であることを受け入れて吃音と上手に付き合おうとする「吃音受容派」に、大きく二つに分かれているというような現状がある。伊藤伸二氏は「吃音受容派」のほうの考え方をしている。「吃音を治す努力の否定」というような言葉があり、これは、吃音を治すことに膨大なエネルギーを費やすのはやめて、そのエネルギーを、もっと他のことに使おう、というような意味である。吃音治療に高いお金や長い時間、さらに精神的なエネルギーを使ったとしても、必ずしも吃音が治るとは限らない。そうやって青春や人生を空費するのならば、もっと他のやるべきこと、社会人としての義務を果たしたり、趣味や楽しいことにエネルギーを使ったりして、人生を豊かにしよう、という考え方である。吃音を隠したり、否定するのは、やめて、吃音を受け入れ、吃音があっても隠さずに堂々と生きていこう、というようなことを受容派の人たちは言っている。・・・このような考え方も素晴らしいと思う。しかし、「改善派」の人たちからすると非難の対象になり、「あきらめ」のようにも受け取られている。・・・吃音を治すのも受け入れるのも、その本人しだいで、本人の好きなようにすればいいと思う。改善したい人はそうすればいいし、受容したい人はすればいい。どちらにしろ、同じ吃音者同士が対立しあうようなことがもっとも良くないことである。吃音者は手を取り合うべきである。・・・結局、ぼくは、自分がいいたいことしか書かなくて、本の批評にはなっていませんが・・・。

人間失格

2004年9月1日 読書
ISBN:4101006059 文庫 太宰 治 新潮社 1952/10 ¥300
 ・・・書くことがないときには間に合わせで書評などするしかありません。
 今日は、あまり真剣ではなく、やや適当に書評をしましょう。
・・・本の説明をしようと引用文を探したら見当たりませんでした。したがって、この本についての引用はしません。
 太宰治の作品はいいです。好きです。作品というよりも、太宰自身が好きです。人間失格以外にも、斜陽、グッドバイ、晩年、その他、富嶽百景、女生徒、東京八景、まあ短編などもいろいろ読んでおります。・・・太宰は非常に強い人間であると思う。けっして、弱くはない。自分自身の主観に忠実で、実社会に自己を合わせて生きるということができない。偽善に満ちた社会というものに迎合せず、そういう社会に適応できないという弱さも劣等感もけっして捨てることなく、生涯、弱さも劣等感も抱えたまま生きてきた。そして、そんな弱さ、劣等感を隠すことなく自己の生命を賭けて表現してきた。これは、とてもエネルギーを使うことであっただろう。世間的には人間失格でも、これほどまで「人間」として命を賭け、自己を表現し続けた作家が他にいるだろうか。
ISBN:4309460771 文庫 マルキ・ド・サド 河出書房新社 1990/10 ¥693
内容(「BOOK」データベースより)
美徳を信じたがゆえに悲惨な運命にみまわれ不幸な人生を送るジュスティーヌの物語と対をなす、姉ジュリエットの物語。妹とは逆に、悪の哲学を信じ、残虐非道のかぎりを尽しながら、さまざまな悪の遍歴をかさね、不可思議な出来事に遭遇するジュリエットの波爛万丈の人生を物語るこの長大な作品は、サドの代表作として知られ、サドの思想が最も鮮明に表現された傑作として知られる。


 マルキ・ド・サドはサディズムの語源となった作家。僕はこの本は、6年くらい前に読んだ。
 サドは2人の姉妹のそれぞれの生涯を描き、引用文の説明にもあるとおり、『悪徳の栄え』は姉ジュリエットの話であり、妹ジュスティーヌを描いた『美徳の不幸』と対をなす作品である。
 妹のジュスティ−ヌがその人生において美徳を信じたため不幸になっていくのに対し、人生で悪徳のかぎりを尽くしたジュリエットは、悪徳をなせばなすほど栄えていく。
 世間一般において美徳とされている行ないを人間が信じ、美徳に生きたところで、本当に幸せになれるのだろうか?世の中において善人ほど、不幸になっている現実を考えると、サドの悪の哲学はある意味、世の中の本質をついていると思う。個人個人が自己の欲望に素直に忠実になることは一般的には好ましくないこととされ自制が求められるが、個人はその人生において本質的には自己の欲望を実現すべく生きているのであって、このサドの哲学には個人が真にあるべき姿というものが現されているのではないかと考えさせられる。
どもりは治る―『聴覚療法』があなたを変えるISBN:4434038826 単行本 新田 和也 ブイツーソリューション 2003/11 ¥1,890
内容(「MARC」データベースより)
どもりは治りづらいもの、一生治らないものと諦めていたあなた…。人はなぜどもるのか? なぜ今まで治せなかったのか? という疑問を明らかにし、どもりの経験者でもある著者が、画期的な最新の治療法をわかりやすく紹介
 目次

第1章 なぜ今まで『どもり』が治らなかったのか
第2章 『どもり』とは何か
第3章 なぜ『どもる』のか
第4章 『どもり』を治す
第5章 DAFトレーニングでなぜ『どもり』が治るのか
第6章 『どもり』治療の実際
第7章 『どもり』治療の症例
第8章 『どもり』治療に寄せられたメッセージ
 

 吃音の治療について、「DAF」という装置を用いて行なう療法を詳しく紹介した本。吃音を聴覚の障害の一種であるとして、吃音者が自ら発声した声を骨伝導ではなく空気伝導で聴くことにより、吃らない流暢な発声ができるようになる、としている。骨伝導の声とは、発声したときに頭の中で響いて聞こえる声であり、空気伝導の声とは、発声したときに口からいったん外へ出て耳から聞こえる声である。正音者の人は、空気伝導の声に意識を向けて会話をしているのに対し、吃音者は骨伝導の声に意識を向けているため吃る、ということだ。「DAF」は、吃音者に意識的に空気伝導の声を聞かせるための装置で、これを用いるとほとんど吃らず話せるようになる。「DAF」を使って練習を続けると、流暢に話す発声が条件づけされ、しだいに吃音が治っていく、とされる。
 のぶすけも、この本を書いた先生のもとで、「DAF」を用いたセラピーを以前、受けていた。期間は半年くらいだった。そのときは毎日「DAF」で練習していた。・・・セラピー期間が終わってからも、いちおう練習は続けている。毎日はできていないけど・・・
 この「DAF」を用いた療法を受けてみて、確かに、毎日のように練習を続けていると、吃音は良くなってくるような気がした。しかし、1回の練習がけっこう大変で、時間もかかるし、疲れるもので、毎日続けるのは、しんどいかも。練習をしなくなると、やはり吃るようになってきてしまった。あくまでも継続しなければ効果がないようだ。

『変身』

2004年7月22日 読書
ISBN:4102071016 文庫 高橋 義孝 新潮社 1985/06 ¥340

 今日は日記に書くことがなにもないので、以前読んだ本についての感想とか書きます。
 フランツ・カフカ『変身』
 ・・・これは6年か7年くらい前に読みました。フランツ・カフカは20世紀初め頃のチェコの作家です。
 『変身』は、主人公のグレゴール・ザムザがある朝、目が覚めると突然巨大な虫になってしまい、家族など周囲の人間たちに受け入れられず、ひっそりと死んでいく、というような話しです。
 グレゴールは会社員だったが、若くして父母、妹との家庭をみずからが働くことにより支えていた。そしてそういうような境遇から脱したいと密かに願っていた。そう思っているうちに虫へと変身した。そして死んでいく・・・僕はカフカの『変身』は、人間の宿命というものについて何か訴えているのだと思う。生まれもってあるところの宿命というものは、その人間がこの世界に存在するところの一つの条件のようなものであり、それを否定することは、この世界からの消滅、すなわち「死」を意味すると。自分一人が家族を支えるような境遇が、グレゴールの宿命のようなものであるならば、彼は虫になることにより、宿命を否定し自由を得たことになる。しかし、人間というかたちではなく虫というかたちでしか自由を得られなかった彼は、もはやこの世界に存在できなくなってしまったのである。
 これは自由を得たくて得られなかったカフカ自身が、皮肉のような想いを現わしている作品なのではないかと思う。

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