自己の内面を洞察なのだ
2006年5月22日 映画・読書批評以外の話精神世界カンケイのサークルの方とお話したら、わたしがあまりにも吃るので「何言ってるか分かんない」と言われ、けっこう悲しかったのですが、なるほど、これこそ真実であるとためになった。
「何言っているか分かんない」という意見、これは客観的真実であり、そうおっしゃった方はたんに真実を述べているだけである。わたしはそういわれて悲しかったので、悲しいということは伝えたけれど、たとえば「そういう言い方はたいへん失礼だ」などと怒って相手を攻撃することもできたわけである。しかし、相手に怒りをぶつけて攻撃するというのは自らを守るためにするだけであって、相手はたんに客観的真実を述べているだけなのにそうするのは不適切であろう。むしろ客観的な真実を言われて怒りの感情をなぜ自分は抱いてしまうのかという自己の内面の洞察や分析も必要であろう。精神世界的なものを探求するのだから、そういう姿勢は大切である。吃音者は「何を言っているか分からない」と言われて怒りの感情を抱くことも多いかと思うが、むしろ、現実に吃っていてまったく何を言っているのか聞き取れないのに、「あなたの言葉はぜんぜん気になりませんよ、ちゃんと言っていることが分かりますよ、大丈夫ですよ」と言われて安心することのほうが考えものなのである。ほとんど聞き取れないのに、もし相手が気を遣ってなぐさめるようなことを言うのならば、それは真実の言葉ではないのだ。そのような言葉を言われて安心するのなら、それは吃音者が自己を正しく認識していることにはならないと思う。気を遣って「ぜんぜん気にならない」と相手が言ってくれているとしたら、それは本当の言葉で無いから相手に騙されていることになる。相手に騙されつづけるより、真実を相手が言ってくれたほうが自己を認識するのには助けになる、そのようなことを今日は学んだ。
「何言っているか分かんない」という意見、これは客観的真実であり、そうおっしゃった方はたんに真実を述べているだけである。わたしはそういわれて悲しかったので、悲しいということは伝えたけれど、たとえば「そういう言い方はたいへん失礼だ」などと怒って相手を攻撃することもできたわけである。しかし、相手に怒りをぶつけて攻撃するというのは自らを守るためにするだけであって、相手はたんに客観的真実を述べているだけなのにそうするのは不適切であろう。むしろ客観的な真実を言われて怒りの感情をなぜ自分は抱いてしまうのかという自己の内面の洞察や分析も必要であろう。精神世界的なものを探求するのだから、そういう姿勢は大切である。吃音者は「何を言っているか分からない」と言われて怒りの感情を抱くことも多いかと思うが、むしろ、現実に吃っていてまったく何を言っているのか聞き取れないのに、「あなたの言葉はぜんぜん気になりませんよ、ちゃんと言っていることが分かりますよ、大丈夫ですよ」と言われて安心することのほうが考えものなのである。ほとんど聞き取れないのに、もし相手が気を遣ってなぐさめるようなことを言うのならば、それは真実の言葉ではないのだ。そのような言葉を言われて安心するのなら、それは吃音者が自己を正しく認識していることにはならないと思う。気を遣って「ぜんぜん気にならない」と相手が言ってくれているとしたら、それは本当の言葉で無いから相手に騙されていることになる。相手に騙されつづけるより、真実を相手が言ってくれたほうが自己を認識するのには助けになる、そのようなことを今日は学んだ。
眠いんだけどブログを書いてみる
2006年5月20日 映画・読書批評以外の話 眠いです。目が開かない。でも、ブログを書いてみようと思いました。パソコンのメール、何日かチェックしないと、ものすごくたくさん来て、見るのに30分はかかる。何個かメーリングリストに入っているのでたくさんメール来るのもあるし、出逢い系の宣伝のメールがいっぱい来る。全部サクラでしょう。逆援助してあげる、とかさ。
ブログに書こうと思ったこと、よく考えればいろいろあることはあるんだけど、いざパソコンの画面の前に来ると面倒くさくて。なんだかいろんなことが面倒で、例えばケータイね、パケット定額サービスがやっと始まって、申し込みしたいんだけど、申し込むのが面倒くさくて、まだ申し込んでいない。だから、ケータイ、パケット定額のになっていないんですよ。まあ、あんまりケータイでパケット代が恐ろしいほど高くないから、いいんだけど。
あした、起きれるかなあ。朝起きるの苦手で。あした、出かけるんだけど。まあ、起きれたら、起きれたで、いいや。
ブログに書こうと思ったこと、よく考えればいろいろあることはあるんだけど、いざパソコンの画面の前に来ると面倒くさくて。なんだかいろんなことが面倒で、例えばケータイね、パケット定額サービスがやっと始まって、申し込みしたいんだけど、申し込むのが面倒くさくて、まだ申し込んでいない。だから、ケータイ、パケット定額のになっていないんですよ。まあ、あんまりケータイでパケット代が恐ろしいほど高くないから、いいんだけど。
あした、起きれるかなあ。朝起きるの苦手で。あした、出かけるんだけど。まあ、起きれたら、起きれたで、いいや。
歯の噛み合わせが気になりだすと
2006年5月18日 映画・読書批評以外の話もう一日中、気になります。気にしだすと筋肉に力が入ってしまうので、よけい噛み合わせがおかしくなります。唇も腫れてきます。すごく気になります。人と顔をあわせたくなくなります。気にしだして、ついつい口をいじってしまい、しょっちゅう鏡見ちゃいます。変な口になっていないか気になるから。電車の中でも鏡ばっか見ちゃいます。男のクセに。鏡を見ては、しまい、また見ては、しまい、を繰り返します。醜形恐怖みたいな感じです。
中川翔子たん
2006年5月18日 映画・読書批評以外の話 コメント (2)中川翔子たん、テレビで初めて観ました。変わっている人だなあって思って気に入りましたっ。ブログが月に2000万アクセスだそうで凄いですね。結婚するなら、夢を持っているフリーターと、安定した公務員とどちらがいいか?との質問に「夢を持っているフリーター」と答えていました。「ヒモもバリバリおっけい」と言っていました。翔子たん、のぶすけをヒモにしてください。
それで相談したのは・・・
2006年5月17日 映画・読書批評以外の話今後このブログをどう書いていけばいいのか相談しました。親しい人に。自分のブログなのに、なんで人に相談するのかね?不思議ですね。・・・そうしたら、「ブログを連載小説にしよう」ということになりました。占い師のタマゴが主人公です。その占い師のタマゴは吃音で強迫でアダルトチルドレンです。こそこそ隠れながらブログを書いています。そして、その占い師のタマゴは、美人なお姉さんに翻弄されるのです。美人なお姉さんに誘惑されて、うわっ、なんてハレンチな展開に・・・といった内容の小説です。・・・すみません、全部嘘です。
ブログの書き方について悩んだりしたから
2006年5月17日 映画・読書批評以外の話以前に比べて更新しなくなってきているのです。「のぶすけ」名で書くブログでは書けないことが多くなってきている。あまりにもボクが「のぶすけ」という名であちこち関わっているというのも理由の一つです。たとえばゴールデンウイークなんかいろんなことがあったのに、ほとんどそのことを書けなかったり。親しい人には話しても、ブログには書けないという事態が起きてしまう。
どうも僕の考え方って
2006年5月9日 映画・読書批評以外の話受け入れられにくいらしい。吃音の会の方たちは、吃音にしか目がいかない。強迫の会の方たちは強迫にしか目がいかず、不登校の会の人たちは不登校にしか目がいかない。僕なんかは、さまざまな症状があるが、これらを関連付ける考え方をしていても、それぞれの会の方たちには受け入れられがたいようである。・・・精神分析的な考え方がもとにあるインナーチャイルドとか無意識の話って、そんなに受け入れられがたいものなのだろうか。不思議である。たんなる幻想だと思われてしまうのはなぜなのだろうか。
荒川静香見に行けば良かったかなあ
2006年5月8日 映画・読書批評以外の話 なんか今日、新横浜での荒川静香のスケートを見に行こうって、通信大学のお姉さまに誘われたのに、仕事なので断ってしまいました。でも一緒に見に行ったほうが良かったような気がする。プロに転向した荒川静香の初舞台でしたか?せっかくだから、見てみたかったなあ。
通信大学のお姉さまは、のぶすけをまた誘ってくれるかしら??
通信大学のお姉さまは、のぶすけをまた誘ってくれるかしら??
人に気を遣いまくって疲れた
2006年5月6日 映画・読書批評以外の話 コメント (6) 吃音者の大会でも人に気を遣いまくっていた気がする。全国各地から集まる吃音者。北海道から沖縄まで。胸に付けた名札には参加者の都道府県名が書かれている。
僕は、ふだんから知っている人も含め、各地の参加者と話したけど、どうしてこうも人の前だと社交的に振舞ってしまうのか。愛想のいい、皆から好かれる存在になろうと思ってしまう。疲れるのだ。家に帰り、一人になると、こんなに虚しいことはない。家で一人で過ごしたときの不安、虚しさ、これらをこのまんまの形で大会で人に表していたら、皆は受け入れてくれたのだろうか。目の前に人の姿があるとなぜか笑顔になって挨拶をしてしまう自分が嫌だ。なぜ僕は人前では笑顔でなければならないのか。そんなものは仮面である。
頭にくるのは、ふだんから知っている人が、大会で「こんなところまで来てわざわざお前なんかと話しているのはもったいない」とばかりに僕には話しかけてこないことである。それが許されるのなら、僕もこの人みたいに振舞いたいものだ。なにも皆に明るく笑顔で振舞うことはないのだ。疲れるだけだ。
僕は、ふだんから知っている人も含め、各地の参加者と話したけど、どうしてこうも人の前だと社交的に振舞ってしまうのか。愛想のいい、皆から好かれる存在になろうと思ってしまう。疲れるのだ。家に帰り、一人になると、こんなに虚しいことはない。家で一人で過ごしたときの不安、虚しさ、これらをこのまんまの形で大会で人に表していたら、皆は受け入れてくれたのだろうか。目の前に人の姿があるとなぜか笑顔になって挨拶をしてしまう自分が嫌だ。なぜ僕は人前では笑顔でなければならないのか。そんなものは仮面である。
頭にくるのは、ふだんから知っている人が、大会で「こんなところまで来てわざわざお前なんかと話しているのはもったいない」とばかりに僕には話しかけてこないことである。それが許されるのなら、僕もこの人みたいに振舞いたいものだ。なにも皆に明るく笑顔で振舞うことはないのだ。疲れるだけだ。
更新あんまりしないけど
2006年5月2日 映画・読書批評以外の話まあまあ元気ですよ。さいきんは、自分をみつめなおす機会なんです。そういう時期さ。ブログ書かないけど、まあ、なにかと忙しいです。そうそう、黄金週間ですが、僕は委員を辞めてしまったとはいえ、吃音者の大会にも出席しなければなりません。
のぶちゃん、かわいこちゃん好き好き大作戦
2006年4月30日 映画・読書批評以外の話・・・そんな作戦が発動できるほどの勇気があれば言うことなしです。しかし、げんじつはシャイな、のぶちゃん。のぶちゃん、めんくいです。いがいと、めんくい。・・・パスタが好きです。
いやあ頑張った
2006年4月30日 映画・読書批評以外の話頑張る、ってえ言葉はお嫌いなあたくしめですが、きのうは頑張った!じぶんでじぶんをほめてやり隊。おふらんす語さ〜くるの副会長としての初任務をこなしまくりました。だから寝る。頑張ったから、寝る。
委員会を辞職
2006年4月22日 映画・読書批評以外の話 吃音者の全国大会の実行委員会の委員でしたが、今日、辞職しました。副委員長でした。名ばかりの。辞めた背景には鬱もありますが、委員会は雰囲気があまり良くなかったのです。ムードが大切な僕には耐えられないような雰囲気でした。委員会でさえ、耐えられない雰囲気なのですから、大会で3日間も宿泊して朝から晩まで委員として働くことを思うと、とても憂鬱になりました。想像しただけで、過敏性大腸症候群の症状が出てきます。委員会、このまま参加し続けても、自分は幸せになれない、と思いました。ですので、思いきって辞めました。無理せずに自分のココロに正直になって正解。