日記書くのが面倒でしたから、あんまり書きませんでした。・・・ケータイが壊れつつあったから、新しいのを買いました。ドコモショップの店員のお姉さんに上手くのせられたような気がしないでもない。
 「キミは自分の心(内面)を見つめ過ぎなんじゃないか」と人に言われました。「もっと他の人にも目を向けてみたら」とも言われました。・・・むしろ、逆です。自分の心を見つめなさ過ぎなんだよ、僕は。それは精神世界のサークルに出たり、セラピストなどと話していると、すごく実感することだ。でも、前にも書いたが、僕はきっと根本的に自分の不安を解決しようとしていないのだと思う。言い方を変えれば、自らの心の本当の奥を覗くのが怖いのだ。だから、その上にずっと蓋をしたまんまなんだ。以前にブリーフセラピーでも神経症が治らなかったり、退行催眠でシラけてしまったりしたのも「抵抗」からだと思う。
 もっと他の人にも目を向けるというのは、一理あるだろう。最近、他人との価値観の違いで苦しんでいるが、確かに意見の異なる他人に囲まれれば、嫌というほど自分と他人との違いを知ることになる。絶対、他人の言うようには生きない、自分の価値観をもっと大事にしようと強く思うきっかけに他人がなってくれる。他人が分かってくれなければ分かってくれないほど、僕は他の誰でもない自分自身というものを発見することになる。
DVD ポニーキャニオン 2005/12/17 ¥4,725
2004年のクリスマス・イブの日に、東京の地下鉄の最新鋭実験車輌が(通称クモ)が乗っ取られ、乗降客200万人の命が危険にされされるハメに。その犯人からの指名もあり、警視庁初の交渉人・真下正義が奮闘する! 国民的シリーズにまでのしあがった『踊る大捜査線』のスピンオフ作品第1弾。シリーズではコメディリリーフだったユースケ…

 ようするに僕が女の子と手をつないでエキストラ出演した作品です。劇場では観なかったけど、あとでビデオで確認してみました。はっきり言って、僕は写っているとは言いがたいくらいの感じでした。たしかに写っていることは写っているが、あんなのじゃ写っているとは言えません。
 むかし、不登校のサークルで「ビートたけしのTVタックル」が取材にきて、僕も写りましたが、あのときのほうが画面にアップで良かったです。
 あの、すいません、書いていてよく分からないのですが、こういうときの写るっていう字は、映る、と書くべきでしょうか?写るなのか、映るなのか分かりませんっ。
 ところで、何の話でしたっけ??・・・ああ、交渉人の話でした。東京の地下鉄が大混乱になります。犯人が地下鉄にイジワルするからです。混乱しちゃって、駅員さんも大変です。混乱のどさくさに紛れて記念に写メール撮っていたら、クビになっちゃうくらい大変です。地下鉄のコントロールセンターを仕切っている人が、僕が知っているオジサンに似ていて、こわい。カンロクがあります。
 電車の中で人の足を踏んづけておいて、まったく謝らないとは、どういうことだ!東海道線に乗ってきて、僕の右足を踏んづけた知的障害の少年よ!キミはかなり太っていて、体重があるようだったから、右足を踏まれた僕は暫らく痛みがとれなかった。僕は一言、言いたかったが知的障害の子に怒るのもどうかと思って、怒ることもできなかった。その子と目が合ったのだが、口からヨダレをたらして僕のこと見つめるから。しかし、僕は怒ればよかった。相手が知的障害だからといって怒らないのも、ある意味、差別だ。知的障害だからといって、何をやっても許されるわけではないだろう。怒られないで済むわけじゃないんだ。・・・もっと頭にキタのは、その子の両親らしき二人が一緒だったのに、その二人も僕に対して謝らなかったこと。ちゃんと子供に対して教育をしなさい。というか保護者として謝らなかったのだから、「悪い」という感覚がその両親にもないのだな?その両親の感覚からして非常識である。自分の子が障害があるからといって、他人に迷惑をかけても許されると思うな!子供の行ないが、なんでも大目にみられると思うな!
 障害のある子供も、ふつうの子供と同じように育て、同じように教育するべきだ。人に迷惑をかけたら謝るのは、人間としての基本で、障害の有る無しはまったく関係のないことだ。障害があるからといって特別扱いするのは間違っている。それは差別だ。
 
 さいきん、好きなことを仕事にしていたり、そういう仕事に向けて勉強している素敵な人達と会っているせいで、僕もそういう想いが強くなってきた。生活のため、生きるために仕事をして、自分がホントにやりたいことを仕方なく切り捨てるべき、なんて言っているかたがいたが、そういうのは僕のハートに響かない。ハートに響かないことなんて、やったって続かない。人生輝かない。僕は、僕に対してマイナスな価値観を押し付けたりしてくる人とはあまり話したくない。今まで、ずっとそういう環境で、そういう人達に囲まれてきたように思う。いつも価値観を押し付けられてきた。やっぱり、自分に対して良い影響を与えてくれる人達とのつきあいを大事にしたいなあ。
 眠れない、そんな夜にはノブログなんていかがでしょう?・・・読み進むうちに、くだらん、ばからしい、こんなの読んでいるんだったら、寝たほうがマシだっ、と思うことうけあい。
 以前、精神世界のサークルに出たとき、会の人が気前のいいことに本をくれたので、私はその本を電車に乗っているときなどに一生懸命に読んだものである。会の人が本をくれた、ということもその本と出逢うように運命づけられていたようなものである。その本を読んでいて、私の世界観がまた大きく変わった。世界の見え方が大きく変わったのだ。さて、その本はどういう本であるのか。まあ、魂がどうのこうの、という本である。
 私は、占星術によると、肉親などの身内に自分の価値観・世界観をなかなか受け入れてもらえないのだそうである。小さい時から家庭の中で、いわば宇宙人のような存在だったのだそうである。宇宙から訪れて、地球人の家庭の中に潜り込んだような。だから、家族や親族には私を理解してくれる人はいないのだそうである。私は身内に理解してもらうのではなくて、自ら自分自身に帰属し、同じような波動をもつ仲間たちと交流して理解しあったほうが良いようだ。なので、精神世界カンケイのサークルにおいて同じようなセンスをもった方たちと出会えるのは嬉しいことである。そこの会の方が、ただなにげに本を一冊くれただけで、それが私にとっては人生を変えうるような非常に大きな出来事になるのだ。
 
・・・ドライ・アイかもしれませぬ。・・・ドライ・アイは眼科で治っても、乾いた愛は眼科ぢゃ治りませぬ。そ、そなたの力でっ。
目が開かずの間
 話し合いが中心の吃音者の会においても、私は疲れてきていた。なにか私が想ったことを言っても、聞きっぱなしにはしてくれないで、即座に反論や評価が返ってくる。私は吃音者の会でもなかなか自らの想ったことや考えていることを表すことができなかった。しかし、やっと、吃音者の会でも本音を言えた。ACなどの言いっぱなし、聞きっぱなしのグループならば、自分の気持ちを吐露しようが評価はされないのだ。なのに吃音者の会は話し合いが中心だがゆえに必ず他人が評価する。私が話したそばから、他人は自分の意見を言う。私の想いを否定する。今までは私は吃音者の会での様々な考え方・立場の人達にも合わせてきたが、もう、それもしたくない。私が本音を言うと会に居づらくなると思って、自らの吃音に対する考えも述べずに、他者の主張に合わせてきたが、もう、そんなことをする必要もないだろう。たかだか吃音者の会ごときで私が疲れさせられるのも馬鹿馬鹿しいのだよ。
 なぜ吃音者の会の方たちは自分たちの意見を人に押し付けようとするのか。吃音は治らない、とか、喋れば喋るほど吃音は治っていくとか。私はそんな考え方を聞くたびに尊重してきたが、私がその考え方を尊重すれば、まるで私がご自分の説の信者になったみたいにお扱いになる。私が同調しなければ「キミは分かっていない」と言わんばかりの態度をお取りになる。
 私はこれからは言わせてもらう。会にいづらくなったとしても、意見を合わせ続け息が詰まりそうになるのよりも、ましであろう。
 
 この前、朝からロバート・オーウェンのことが気になった。オーウェンは空想的社会主義の代表的人物。ある日、交霊術に参加して、出てきた女性の霊に一目惚れしたらしい。なんかの本に書いてあった。女性の霊にプレゼントまでしたそうで。それほど美しい女性の霊だったのか。なんだかお茶目なオーウェンちゃんである。そんなお茶目なオーウェンちゃんのことを、のぶすけは気に入りました。オーウェンちゃんの恋をオウエンするよ!なんてオヤジみたいなギャグ。
たまに感じたこと想ったこと感情的なことブログに書きますが、アダルトチルドレンのセルフヘルプグループのごとく言いっぱなし聞きっぱなしの精神でお願いします。私が感じたこと普段いえないことをブログで書いているのに、なんだか評価されるのが嫌なのです。他人の価値観で私の感じたことを評価されるのは嫌です。・・・そのようなコメントでの意見に対して反論するなどして、へんな議論もしたくありません。
 相互リンク、ありがとうございます。よろしくです!!
 けっこう咳がでます。風邪はとっくに治ったはずですが、咳がちょっと出ます。アネトンとかいう薬を薬局で買って、飲んでいるのですがね。やっぱりタバコ吸っちゃいますし。咳出るわな、そりゃ。
 なぜか。それは私が私らしく生きようとしなかったから。私らしく生きることを常に遠慮して、私らしく生きることを選択してこなかったから。だから、私の外部に展開している現実というのも、私が選択して創り出したものであったというわけだ。だから、私は外部に展開している現実をなんとかしようとするのではなくて、私が私らしく思うこと私らしく望むことを選択し、私らしく生きていくようにすればいいだけのことだったのだ。そうであるから、私は内的な現実、私の内部にあるものを行動する際に選択して、それを外部に反映させなければならない。外部の現実を変えるには、それしかない。私が私自身を生きられなかったのは私自身に責任があった。私自身を実現してこなかったのは私自身であった。私は私を生きなければならないと思った。
 前にも同じこと書いているが。私は現実をいつも直視しようとしない。現実を無視している。現実を直視すると鬱になるだけである。夢をみているほうがいいのだ。他人は私に「現実、現実」というが、それがなんなのか。それがなんだっていうのか、と私が言うと、決まって他人は怒るが、現実なんてものは私にはどうでもいいのである。どうでもいいと思っているものを、どうでもいいと思わせてくれないのなら、私には辛いだけである。それは他人の価値観だからである。外部の現実、そんなものに囚われたくはないのだ。自分の中の内的現実、これこそが現実だ。主観的現実、内的現実こそが重要である。他人は私の外部における現実を重要視せよ、とうるさい。他人は私をそうやって操作したいのか。私の価値観に私は自信をもちたい。私自身が私自身の価値観をないがしろにするなど、私がかわいそうである。
 私は何かに成るのが不安である。会社員になる、夫になる、パパになる、職人になる、専門家になる、占い師になる(?)、「成る」という言葉、それは成ってしまうと、そこからぬけられないような、一度決まってしまったら他のものに成る可能性が奪われてしまうような、そういう不安感があるのである。今の自分の状態を基準に、そこから見て○○に成ると。それは不安だ。私は何かに成らなければならないのか。それ以前に私というものが何者であるのか分からないのに。とある本に、人は人生において何かに成るのではなく、人生とは自分が何者であったのか思い出すものである、と書かれていた。私は何かに成るのではなく、私が本来何者であるのかを思い出すだけである。そのように考えたいと思った。そう考える方が今の私にとっては良いと思った。
 道を歩いていたら電柱にだれかオシッコした跡があって、そのものすごい近くを歩いていたので、気がついたときにはビックリしました。雨は降っていなかったが、手に持っていたビニール傘がなんだかそのオシッコ跡に触れたのか触れなかったのか微妙で自信ないから、そのビニール傘を放棄しました。放棄です、放棄。捨てたのです。そして、それからすかさず手を洗いました。手を洗いながらも頭の中はチクチクします。チクチク感がなかなかなくならない。・・・汚れたような気がしてビニール傘を即、捨ててしまうというのは、ふつうに考えればもったいないことであります。今日は雨は降らなんだからいいけど、傘を捨てて、もしも雨が降ってきたら、また新しいの買います。損をしたって買います。・・・今まで、こういうこと何度か繰り返してきています。私にとってはよくあることです。ふつうに考えれば変な行動ですがっ。
 わたしはけっこう「心」についての哲学にこだわっているようだ。自分ではそういうつもりではないが、人が心について話をしていると、つい気になって注意を傾けてしまう。このまえ、哲学でも有名な先生とお話したが、やはり最近の哲学では「心」を「脳」に還元するようだ。「心」とは「脳」という物質の働きの一部に過ぎないと。
 わたしは「心」と「精神」の違いというものもよく分かっていないくらいに勉強が足りない人間であるが、最近、魂とか輪廻とかいうものを扱う考え方に傾倒してきているので、やはり人間のすべてをたんなる物質だけで説明するのもどうかと思ってしまう。
 
 
なんか最近言っていることと、ちょっと前に言っていることとが矛盾していたりしますが、ノブログにおいて矛盾はオッケーなのです。原則的にオッケーです。だから心配なんてノンノンノン♪・・・矛盾については、そのとき見ている視点、書いている視点が違えば当然矛盾しますし、あるいは考え方が変わるなーんてことも多々あります♪
 同じ一つのことについて言うのに、視点、立場が違うと矛盾する、これは当然ですね。良い事です。だからこそ、面白いということもあります♪
 たとえば殺人なんてことについて語る時、道徳的立場においては殺人はいっさいだめです。悪です。しかし、法律的には死刑制度などの存在をみても分かるように合法的な殺人が存在します。悪ではない殺人がっ。緊急避難で山登りなんかで命綱のロープなんか重いから自分の足元で切っちゃって下の人が落っこちて死んじゃっても非難されません。・・・視点とか立場の違いによって、殺人、という一つのことにさえ言っていることが違うのですから、ノブログでもし矛盾にお気づきでも、オホホホ♪それでいいのです♪

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