禁煙をしようか迷い始めた
2006年10月13日 映画・読書批評以外の話禁煙しようか迷いはじめた。
昨日から。なぜならば、本屋で禁煙の本、立ち読みしたから。
単純でしょう?
僕の性格。
しかし、タバコ吸うたびに嘔吐感が涌き出るし、身体に無理が出てきてるのほんとに自覚している。
15歳のときからタバコ吸っている。
15歳のときに、14歳の子からタバコを教わった。
ほんとうに最近はタバコのせいで疲れやすい。ぜったい、ふつうの人、こんなに疲れない。おかしいくらいに疲れる。
眠れず
2006年10月5日 映画・読書批評以外の話ときたま、眠れない夜があるわけさ。
珍しく、今までまともに読まずに置いておいた本を読んでみた。
『君たちはどう生きるか』
・・・僕が10代の頃、ある作家が僕にくれた本だ。当時の僕は疾風怒濤の思春期だったから、かなりの情緒不安定で、ある時期は妙に自信があり、ヒトラーの電撃戦のごとくだった。アルデンヌの森なんか通らずにマジノ線から突破しようとするくらいな強引さ。しかし、それも疲れてきてしまい、ある時期は守りの姿勢だった。
そんな時期にある作家が僕にその本をくれたのだ。「声に出して読んでみてね」と。
しかし、僕は声に出すのはおろか、まともに読もうとすらしなかった。韓国の金浦空港で飛行機の出発するまでの時間に読んだくらいか。
今日は本棚の奥から取り出して、読んでみたわけである。
ナポレオンの英雄的精神について、水谷君のお姉さんが感動しているところが良かった。ナポレオンが敵のロシアのコサック兵を見て「なんて勇敢なんだ、なんて勇敢なんだ」と感心していたというところ。
不安
2006年10月2日 映画・読書批評以外の話 表現アートのワークショップのときは、すごく新鮮で大きな変容があったのだけど、あれから一日経って、反動がきたようで、大きく不安になった。
心は振り子のようなものだ。安心と不安の間を常に揺れている。
反動がきたのも自然な流れだろう。
今はまた徐々に落ち着きを取り戻した自分がいる。
心は振り子のようなものだ。安心と不安の間を常に揺れている。
反動がきたのも自然な流れだろう。
今はまた徐々に落ち着きを取り戻した自分がいる。
実存を考える
2006年9月29日 映画・読書批評以外の話最近、実存主義というのか、現象学というのか、そういうふうに自分を捉えるといいなあ、楽になるなあ、と思う。
今日は、人間中心主義の表現アートのワークショップに参加していたが、あまりにも自宅から近いし、いったん家に帰ってきました。かなりエネルギーを使うワークでもあり。絵を描いたり、声を出したり、身体を動かしてみたり。
いま、ここ、にいる自分を感じるというのが僕にとって大事だなあ、と思った。ゲシュタルト的な感じで。
いま、ここ、にいる自分を世界内存在として主体的に受け取ることが今の自分には必要なプロセスかと。ハイデガーみたいな。
メルロ=ポンティの身体的実存、というか身体的な感覚において世界とつながるようなことを感じるのも大事なプロセスかもしれない。
最近は、なんかそんなこと考えたり感じたり。
ワークショップではスペインの人といろいろ話せて良かった。もちろん、日本語でですが。僕は外国の言葉が何一つ話せないので。
レコンキスタとか、シュールレアリスムについてとか。
嫌がらせバトン
2006年9月27日 映画・読書批評以外の話冬児さんからまわしていただいたバトン、今頃気がついたもので、すみません。
★愛って何ですか?
不安の対極に位置するもの。世界は愛と不安の二元論。
★神って何ですか?
私自身であって私自身でないもの。
★得意料理はなんですか?
カップヌードル
★あなたの取り柄は?
あまのじゃくなところ
★子供の頃の夢は?
鉄道の運転士さん
★一番最初に好きになった子の名前は?
みねこちゃん
★何フェチですか?
あし
★自分の前世は何だと思いますか?
赤い彗星
★今一番欲しいものは?
あなた
★自分の名前を辞書に載せるならなんて書く?
のぶすけべ
★一番最近送ったメールは?
かもめーる
★旅行に行くならどこに行きたいですか?
バチカン
★明日何する?
役所へ提出する書類を書かされる。
★去年の自分に一言
こんどお茶でも飲もう
★自分の好きな所を3つあげてください。
笑顔がカワイイそうです、ペットみたいなんだそうです、あと、だめにんげんなところ
★好きな季節は?
太陽がくれた季節
★携帯の機種は?
ふぉーまで、どこもなやつ
★お勧めの映画作品を1つ!
僕の彼女を紹介します・・・出ている女優さんに憧れです。
★これがないと生きて行けない!という物をひとつ。
正露丸・・・よく下痢するから(泣)
★昨日何をした?
党活動・・・さいきん党員に。ワイマール体制の打破を狙っています。
★自分を働く車に例えると?
だん吉
★いくらでヌードになれますか?
時価
★人にいえない秘密をこっそり教えてください。
ナスカに地上絵を描いたのは私なんです。くれよんをたくさん使いました。
★ここで一句詠んでください。
いつまでも あると思うな 蒙古斑
★今年の七夕は何お願いしましたか?(反転して下さい)
(例・従軍しても生きて帰ってこれますように・これ以上髪の毛が増えませんように・某お姉さんがもっと上手に○プーを描ける様になります様に等)
反転ってなんですか??
・・・ジオン公国の勝利をおねがいしました。
★今日何時くらいに寝ますか?
たとえば午前0時だとしたら、それは今日なのか?
★照れくさーいセリフを言ってください。
黄味が好きだっ
★余命1週間。何する?
月曜日はお風呂をわかし、火曜日にお風呂にはいる、てゅらてゅらてゅらてゅらてゅらてゅららあ
★今の財布の中には何が入ってる?
なんかね、券が入っているよ。にほんぎんこうけん?、だって。ちいきしんこうけんみたいなものかな?
★オススメのスポット・モノは?
漫画喫茶のカップル席
★自分の名前もしくはハンドルネームの由来
ぜんこくから公募しました。てれぱしーと霊感とで決まりました。
★なすとなすびの違いはなに?
なすは観光地、なすびは芸人
★心から愛しているものはありますか?
心を愛している場合はどうするかい?
★コーヒーと紅茶、どちらが好き?
コーヒーだな、たばこに合うので
★最近何の曲聴いてる?
恵比寿駅で発車ベルとか
★自分的流行語大賞をどぞ!
いやん
★眠いですか?
ねむい
★じゃあ起きてください
タダでは起きません。いくらくれる?
★次に回す人6人
お好きな人はご自由に
最近、言語についていろいろ研究しているつもりだけど、
2006年9月27日 映画・読書批評以外の話 よく考えたら、本業じゃなかった。いたって素人です。言語学にかんする本買って、読んでいたら、あまりにも感動して泣きそうになりました。自分は詩人になるのもいいと思った。
疲れるときは
2006年9月20日 映画・読書批評以外の話 疲れるときは、地球の重力に逆らえなくなるぐらいに疲れて、起きあがれなくなる。地面への身体の接地面積が大きければ大きいほど、疲れない。でも、いくら横になっていても、それでもまだ疲れがとれない。といって、何か激しい運動をしたわけでもない。とくに普通に生活して、こんなにも疲れるとは、病気か?
タバコの吸いすぎは、肝臓が悪くなったり、血液を汚したりと身体によくない。肝臓が悪くなったりすると、疲れやすくなるものである。
たしかに、タバコを一本吸えば吸うほど、疲れが増す感覚がある。
タバコの吸いすぎは、肝臓が悪くなったり、血液を汚したりと身体によくない。肝臓が悪くなったりすると、疲れやすくなるものである。
たしかに、タバコを一本吸えば吸うほど、疲れが増す感覚がある。
どもることって
2006年9月19日 映画・読書批評以外の話 けっこう、ふつうの人でも多いみたい。このまえ出た精神世界カンケイの研究会でも居酒屋での懇親会で普段どもらない人が、どもってた。わざとやっているのかと思ってしまったけど、わざとじゃないみたい。それも一人だけじゃなくて三人も。 ようするに、人はだれでも、どもるものなのだと。
歴史学の本を読んでいると・・・
2006年9月17日 映画・読書批評以外の話 お台場へ行く電車の中で、歴史学の本を読んでいると、目の前の座席に座っているカップルがあからさまにイチャつきはじめました。
僕が歴史学の本を読んでいたせいで、自分たちも新たな歴史を作りたくなったということなのでしょうか?
カップルがイチャつくというのは確かに世界を変える力があります。その車内の雰囲気をちょっとしらけたものにするという力があるのです。そして自分たちだけが浮いているという、そう、まさにイリュージョンです。
僕は目の前のカップルのことが気になるわけではないのです。
いくら抱き合ってキスなどしていても、気にならなかったのです。
カップルがキスしていることを気にするのではなくて、僕が気にしていると思われているのではないか?ということを気にしてしまったのです。
「きっと、あいつはうらやましがってるぜ」などと思われてしまっては、もはや負けなのです。
だから、気にしていないフリをしていないフリをする、という訳の分からないことになってしまうのです。
なんだか、ややこしいですが、ようするに、気にしたわけですね、僕は。書いていて分かりました。
僕が歴史学の本を読んでいたせいで、自分たちも新たな歴史を作りたくなったということなのでしょうか?
カップルがイチャつくというのは確かに世界を変える力があります。その車内の雰囲気をちょっとしらけたものにするという力があるのです。そして自分たちだけが浮いているという、そう、まさにイリュージョンです。
僕は目の前のカップルのことが気になるわけではないのです。
いくら抱き合ってキスなどしていても、気にならなかったのです。
カップルがキスしていることを気にするのではなくて、僕が気にしていると思われているのではないか?ということを気にしてしまったのです。
「きっと、あいつはうらやましがってるぜ」などと思われてしまっては、もはや負けなのです。
だから、気にしていないフリをしていないフリをする、という訳の分からないことになってしまうのです。
なんだか、ややこしいですが、ようするに、気にしたわけですね、僕は。書いていて分かりました。
7歳も若く見られたあ!
2006年9月16日 映画・読書批評以外の話 7歳も若く見られましたっ!3つ年下のヒトに、実年齢よりも7歳も若く見てもらえたので、かなり嬉しい。やったあ!やったあ!永遠のピーターパン症候群のぶすけ!!
コメントをみる |

またやっちゃった
2006年9月9日 映画・読書批評以外の話誤字だ、誤字。
「未青年」だって。いまだ青年に至らない、というような意味になってしまうのかしら?・・・まあ、中学生なら、「未青年」でも間違いではないか。いい表現だったかもしれない。
「未青年」だって。いまだ青年に至らない、というような意味になってしまうのかしら?・・・まあ、中学生なら、「未青年」でも間違いではないか。いい表現だったかもしれない。
最近は、もう
2006年9月9日 映画・読書批評以外の話 最近は、もう、なぜか、コーヒー飲んだだけで気持ち悪くなるし、タバコ吸うとすぐ気持ち悪くなりますよ。タバコなんか長年にわたり、吸いすぎかね?未青年のときから吸いつづけ・・・中学からですから。
吃音と神経症
2006年9月6日 映画・読書批評以外の話 神経症は、無意識に抑圧されている欲求や感情が変装して現われたものである、とよく言われる。私は吃音もそうであると思う。
そのように考えると、神経症の症状や吃音の症状というものは、意識下に抑圧された欲求や感情があるということを教えてくれているメッセージなのである。
なので、神経症や吃音というメッセージの役割をしているにすぎないものを治療したところで、根本的な解決にはならないのである。それよりも、抑圧されている欲求や感情などをどう癒すのかが大事なのである。これらは抑圧しなければならないくらいなのであるから、本人にとっては非常に不快で不安なものとなっている。このような苦しみを抑圧しているから、心はそれを神経症や吃音というかたちで当の本人にも周囲にも伝えようとしているのである。
したがって、この心の奥底にある苦しみが癒されない限り、神経症や吃音の症状が本人にとって必要なものとなってしまう。
そのように考えると、神経症の症状や吃音の症状というものは、意識下に抑圧された欲求や感情があるということを教えてくれているメッセージなのである。
なので、神経症や吃音というメッセージの役割をしているにすぎないものを治療したところで、根本的な解決にはならないのである。それよりも、抑圧されている欲求や感情などをどう癒すのかが大事なのである。これらは抑圧しなければならないくらいなのであるから、本人にとっては非常に不快で不安なものとなっている。このような苦しみを抑圧しているから、心はそれを神経症や吃音というかたちで当の本人にも周囲にも伝えようとしているのである。
したがって、この心の奥底にある苦しみが癒されない限り、神経症や吃音の症状が本人にとって必要なものとなってしまう。
内言語というもので疑問が
2006年9月2日 映画・読書批評以外の話 以前に、吃音についての講演を聴いたときに、吃音の研究家が、内言語を頭の中ではっきり意識してから、実際にことばを声に出して話すようにと言っていた。吃音者は頭の中に内言語として文章がしっかりと組み立てられていないから吃るのだと。正音者は頭の中にしっかりと内言語があるそうで、吃音者も正音者と同じように内言語をしっかりと意識しろと。
しかし、僕はときに内言語など意識しないでも、ひとりでに次から次へとことばが出てくるときがある。気がついたら「あれ?オレ、なんでこんなこと言ってんだ?」というような感じで思考よりもことばが先に出てくるときがある。
このことを講演した研究家の方に質問したら、それは内言語を意識していないだけだと言われた。とにかく吃音者は、観念を言語化して、内言語をしっかりと意識しなければならないとのことだった。しかし、僕が分からないのは、観念を言語化するといっても、そもそも「観念」というものには既に言語が含まれているのではないか、ということだ。観念というものは言語なくしては成り立たないものである。人間が観念を持つには、先に言語がなくてはならない。
そういう意味では吃音者も、観念を内言語として言語化などしなくても、何らかの観念を有している時点で、観念の中には無意識的に言語があるのだと思う。
無意識的な言語というものは、音声としてことばを発する前に頭の中で内言語として意識されるものではなくて、音声としてことばを語るというその過程において自らに意識されるものなのではないかと思う。精神分析で自由連想法により、患者が治療者からの質問に答えていく過程の中で、自らの抑圧した感情をはじめて認識するように、ことばというものを語っていく、まさにその行為のさなかにこそ我々にとっての自己の内面に対しての気づきというものがあるのだと思う。そして、我々は、ことばというものを発して、他者とコミュニケーションをする過程においてはじめて、自己を認識し、自らを成長させ新たに創造していくものであるのだと思う。
しかし、僕はときに内言語など意識しないでも、ひとりでに次から次へとことばが出てくるときがある。気がついたら「あれ?オレ、なんでこんなこと言ってんだ?」というような感じで思考よりもことばが先に出てくるときがある。
このことを講演した研究家の方に質問したら、それは内言語を意識していないだけだと言われた。とにかく吃音者は、観念を言語化して、内言語をしっかりと意識しなければならないとのことだった。しかし、僕が分からないのは、観念を言語化するといっても、そもそも「観念」というものには既に言語が含まれているのではないか、ということだ。観念というものは言語なくしては成り立たないものである。人間が観念を持つには、先に言語がなくてはならない。
そういう意味では吃音者も、観念を内言語として言語化などしなくても、何らかの観念を有している時点で、観念の中には無意識的に言語があるのだと思う。
無意識的な言語というものは、音声としてことばを発する前に頭の中で内言語として意識されるものではなくて、音声としてことばを語るというその過程において自らに意識されるものなのではないかと思う。精神分析で自由連想法により、患者が治療者からの質問に答えていく過程の中で、自らの抑圧した感情をはじめて認識するように、ことばというものを語っていく、まさにその行為のさなかにこそ我々にとっての自己の内面に対しての気づきというものがあるのだと思う。そして、我々は、ことばというものを発して、他者とコミュニケーションをする過程においてはじめて、自己を認識し、自らを成長させ新たに創造していくものであるのだと思う。
ドストエフスキーを今ごろ
2006年8月29日 映画・読書批評以外の話 『悪霊』って本の下巻、やっと今ごろ買って読んでます。上巻を読んでいたのは確か去年の年末でした。下巻をいつか読まなきゃあと思いつつ、今ごろになってしまいました。
書店で購入し、さあ電車の中で読むぞ、小田急線と思ったら、ロマンスカーしか来なくて、特急券を買いロマンスカーに乗りこみました。そしたら、なんと喫煙席で、しかも窓側です。遠慮なく煙草を吸います。座席の背を倒す時は、後ろのお客さんに注意します。りくらいにんぐ、だっけ?何て言うんだっけ?ロマンスカー快適で、煙草吸い放題で、車内販売のお姉さん来るし(買わないけど)、快適すぎて全く本を読む暇がありませんでした。
だから、降りた駅(むこうがおかゆうえん)の近くの喫茶店で読むことにしました。ドストエフスキーの『悪霊』の下巻。アイスコーヒーをお供に読もうとしましたが、物が二重に見え出して、本の活字も二重に見え出して、読むのがタイヘンだから、やめました。
別の日に、湘南新宿ラインの中で読むことにしました。ボックス席?まわりを騒がしい中学生に囲まれて、はしゃいでいるから、大変読みづらく、気がついたら大崎なので、降りました。
書店で購入し、さあ電車の中で読むぞ、小田急線と思ったら、ロマンスカーしか来なくて、特急券を買いロマンスカーに乗りこみました。そしたら、なんと喫煙席で、しかも窓側です。遠慮なく煙草を吸います。座席の背を倒す時は、後ろのお客さんに注意します。りくらいにんぐ、だっけ?何て言うんだっけ?ロマンスカー快適で、煙草吸い放題で、車内販売のお姉さん来るし(買わないけど)、快適すぎて全く本を読む暇がありませんでした。
だから、降りた駅(むこうがおかゆうえん)の近くの喫茶店で読むことにしました。ドストエフスキーの『悪霊』の下巻。アイスコーヒーをお供に読もうとしましたが、物が二重に見え出して、本の活字も二重に見え出して、読むのがタイヘンだから、やめました。
別の日に、湘南新宿ラインの中で読むことにしました。ボックス席?まわりを騒がしい中学生に囲まれて、はしゃいでいるから、大変読みづらく、気がついたら大崎なので、降りました。
ブログ作成講座みたいなやつ出ました
2006年8月29日 映画・読書批評以外の話 とっくにブログ書いているのにね。そしたら、先生が「この中で既にブログを書かれている方いますか?」って訊くから、「はぁい」と手を挙げました。
「どこのブログですか?」と訊くので「ダイアリーノートです」と言ったら、「は?」と言われました。
どうもダイアリーノートは有名ではなかったようです。先生ご存知ないようでした。
・・・ちなみにたった一日で、ライブドアのブログに憧れました。いきなり書くかもしれない。開設、開設♪
「どこのブログですか?」と訊くので「ダイアリーノートです」と言ったら、「は?」と言われました。
どうもダイアリーノートは有名ではなかったようです。先生ご存知ないようでした。
・・・ちなみにたった一日で、ライブドアのブログに憧れました。いきなり書くかもしれない。開設、開設♪
いまだ薬物に頼らず
2006年8月29日 映画・読書批評以外の話 不安がいくら苦しかろうと、強迫が苦しかろうと、薬物療法には頼らない。もう随分と長い間、薬の力は借りずに過ごしている。確かに、不安なときに、「今、薬飲んだら楽になるだろうな」とは思うけど、非常な抵抗感をも持ち合わせているので、再び病院の門を叩いて薬を処方してもらおうとは考えない。
薬というものが怖いのだ。今となっては。さじ加減で心をコントロールされるのもね、キライだ。
そもそも神経伝達物質とかのせいで不安になっているわけじゃないし。不安なときに、たまたま脳の中を物理的に見てみれば、伝達物質がどうこうなっている、というだけで、それが原因ではない。心が不安だということと、伝達物質が多いとか少ないとかどうこうっていうのは、記述の違いがあるだけで、同時的であって、原因と結果の関係ではない。
薬というものが怖いのだ。今となっては。さじ加減で心をコントロールされるのもね、キライだ。
そもそも神経伝達物質とかのせいで不安になっているわけじゃないし。不安なときに、たまたま脳の中を物理的に見てみれば、伝達物質がどうこうなっている、というだけで、それが原因ではない。心が不安だということと、伝達物質が多いとか少ないとかどうこうっていうのは、記述の違いがあるだけで、同時的であって、原因と結果の関係ではない。