宇宙人に誘拐されたのかどうかは、どうしたら分かりますかね?やっぱり逆行催眠とかいうやつですか?

 なんだか、小さい時、宇宙人に誘拐されたような気がしてしかたないのです。ミッシング・タイム、空白の時間があるような、ないような・・・・・・。
 よく、昔、テレビの番組でやっていたじゃないですか。鼻の穴から変な器具を挿入されて、頭の中にその器具が埋め込まれるとか。もしかしたら、そんな器具が埋め込まれているんじゃないかと、よく気にしたものです。
 なんだか宇宙人は、僕のところへは7年おきに来るような気がするんだ。7年おきに。
 人生で本当にやりたいことは何なのだろう?人は死を意識したときに、自分の本当にやりたいことを自覚すると言ってた。ドイツの哲学者ハイデガーが。
 自分はやがて死ぬということは分かっていても、どうせ50年後とか60年後とかだろうと思っていて、死ぬことの実感が湧かない。本当は、いつ、事故や病気で死ぬか分からないのに。明日にも死んでしまう可能性だってあるのだ。(ちなみに、僕は昔、ゲーセンで寿命測定ゲームみたいなのをやったら、41歳で死ぬことになっていた)

 だから、万が一、一ヶ月後とか一週間後とかに死ぬとして、そういう想像をしてみたら、自分はいったい何がしたいのだろう?と強く意識してみた。そうしたら、よく分からなかった。ただ一つ分かったのは、一か月後とか一週間後とかに死ぬとしたら「赤ん坊のように女の人に甘えたい」ということが頭に浮かんできただけだった。(ブログ読んでいる人に笑われるかもしれないが。だって本当なんだもん。)
 赤ちゃんがえりがしたいだけか。以前から、母体に回帰したいという願望が強いのです。
 
 本当はお金に困っているけど、お金よりも愛なのだ。愛がいくら注がれても満たされないのは、アダルトチルドレンだからか?
 もう、根源的に自分の存在が肯定されるくらいに愛されないと、だめみたい。この世界に投げ出されて、産み落とされて、自分がこの世界に存在していいのか?自分のこの世界での居場所は?自分の存在する根拠が不安だ。
 根源的に自分の存在が肯定されたい。愛がいくら注がれても満たされない。不安だ。

ヤッターマンの

2009年2月5日 日常
ヤッターマンの映画が観たい。今度やるやつ。深田恭子のドロンジョさま観てみたいにゃ!!にゃにゃにゃ!!

微妙に

2009年2月5日 日常
 微妙にペンネームと日記のタイトルとを変更いたしました!あはは!いつのまにかダイアリーノートもペンネームを変更できるようになっていたのね。僕知らなかったお。

ブルトン

2009年1月26日 日常
ウルトラマンに出てきた四次元怪獣ブルトンは、アンドレ・ブルトンの名前からとったということを初めて知った。アンドレ・ブルトンはシュールレアリスムの運動の代表的な作家。超現実主義か。超現実とは、非現実とは違って、あくまでも現実の中にある。現実を構成している要素を再構成して新たな現実を作るらしい。

 『ナジャ』においてブルトンは、神秘的な性格の女性ナジャと出会うけど、街頭ではじめて目を合わせた瞬間、「すべて事情は分かっているわ」と言うような目でナジャに見つめられた。

 ナジャはなんでも分かっている。あえていちいち説明する必要はない。
 それは、僕の憧れでもある。インナーチャイルドが深く傷ついているせいかこの世界の現実に違和感を感じる。
 常に感じる不安も、他人に説明するときは、他人の言語に置き換えて、他人の不安に置き換えなければ話ができない。僕が感じている僕に固有な不安の感覚も、他人には理解しえない。
 僕の内面的な不安の感覚と、身体的な不安の感覚と。
アダルトチルドレンとか言われている、その自覚のある人々であれば、なんとなく共感してもらえる部分があるような気がする。

 

とりあえず、吃音について、最近思うことを書いてみよう。吃音のグループの人たちなどを見ていると、やはり多くの人が、言葉の流暢性にとらわれている。喋る言葉を工夫して吃っていないように聞こえさせることに、僕はあまり関心がなくなった。
 それよりも内面だ。内面である。音声としての言葉は表面に過ぎない。物理的な空間に振動する音声は、僕の内面を表している。心の内奥をのぞかなければ、吃音というものは分からない。


詐欺罪で服役中の女性ヨンジュ。彼女はお得意の口八丁手八丁で仮釈放の審査をパスし、列車で姉の結婚式に向かっていた。だがその列車内で、ヨンジュは若い薬剤師のヒチョルを痴漢と勘違いし、一悶着。誤解が解けた直後、今度は彼の指輪がスリに盗られる瞬間を目撃。仮釈放中の身である彼女は泥棒と間違われたくないため、スリを追いかけ指輪を取り戻す。しかしその間に、列車は無情にも出発してしまう。仕方なく指輪を届けるためヒチョルの実家へ向かったヨンジュだったが、その途中で何気なくついた嘘が思いもよらぬ事態を引き起こし…
(カノジョヲシンジナイデクダサイ ツウジョウバン 4907953007697 BIBF-5771  ハピネット・ピクチャーズ ハピネット  )



 嘘つきな女の子が主人公です。あまりにも嘘つきすぎて、刑務所に服役したほどです。

 刑務所を仮釈放になったヨンジュは、思わぬきっかけで薬剤師であるヒチョルと知り合うことになる。ヒチョルはいたって真面目な好青年なのに、ヨンジュのついた嘘のせいで、女ったらしと思われたり、お父さんに殴られたり、妹にまで殴られたり、小さい子供にまで軽蔑されたり、ふんだりけったりです。あげくのはてには唐辛子を山のように食べさせられたりします。
 詐欺で服役していただけあってヨンジュは嘘の天才ですが、やがてヒチョルに恋をする。やはり恋愛ものの映画なのですが、本心をなかなか言わずにどこまでも嘘をつき続けるヨンジュと、本音でぶつかり本気で怒ったり泣いたりする嘘のつけないヒチョルとが対称的であるからこそ、この作品は面白いのでしょう。これが「恋愛は騙し合い」とか言って、お互いが嘘をつきまくっていたら、それこそ作品としてはつまらなくなる。そういう意味で、いくら彼女に嘘をつかれても、ヒチョルがどこまでも徹底して正直であるというところにこそ、この映画の意味があるのだと思う。ヒチョルの正直でまっすぐな心こそが、ヨンジュを変えることができたわけで。
 

 

デイジー

2008年5月28日 映画
【ストーリー】
ヘヨンは幻に恋していた。どこかで自分を見守りながら、デイジーの花を贈り続けてくれる男性。名前も顔もわからないその人を、彼女は運命の恋の相手だと信じていた。そんなヘヨンの前に現れるひとりの男ジョンウ。
シャイなまなざしで自分をみつめる彼を、ヘヨンは、運命の人だと確信する。しかし、ジョンウの正体はインターポールの捜査官で、ある事件を通じて彼が追うことになる暗殺者こそが、本当のデイジーの贈り主だった。。。





 最近は彼女と恋愛映画ばかりを観ています。やはり、韓国映画が多いです。韓国の映画はなんとピュアな映画が多いのでしょう。
 デイジーは彼女がDVDで借りてきてオススメしてくれたから観たのですが、恥ずかしいことに、この作品のタイトルが花の名前であるということが分かりませんでした。デイジーという花があるということ、生まれてからはじめて知りました。この映画を観て、そんな花があったのかと・・・誰でもふつうに知っている花なのですか??

 舞台はオランダです。ヘヨン(チョン・ジヒョン)はオランダで勉強している画学生です。街角で通りかかった人の似顔絵を描いてあげています。いいなあ、こういうの憧れる。留学して異国の街角で、絵を描く商売、いいですね。憧れますね。
 ある日、絵を描いてくれと依頼してきたお客さんに恋愛感情をもちはじめるヘヨンですが、それが三角関係へと発展。インターポールの刑事と、殺し屋との三角関係へと。

 最後には三人とも死んでしまう。とても悲しい結末ですね。けっして幸せな恋愛ではありません。
 しかし、三人とも死んでしまった、誰か一人でも生き残るのではなく、三人とも死んでしまう、この部分にとても深い意味があるように思った。
 愛というものは、死によって高い次元へ昇るというか、そこに美があるんですよね。
 今まで生きていた、今まで泣きも笑いもしていた大切なあの人が死んだ瞬間、愛というのは高い次元に昇るような気がする。より愛は深まるような気がする。うまく言えないのですが、死によって失われてこそ、愛は高い次元に行く、この作品を観ていたらそんな気がしました。そして、三人とも死んだ、三角関係のうち、誰一人も生き残らずに、三人とも死んだというところが、より完成された美を感じさせるのだな、と思いました。
 ・・・言いたいことは、タイトルの通りである。今、もうれつに「喫煙者バンザイ」と叫びたい気分なのである。まあ、ほんらい僕は大声で叫んだりするタイプでないので、叫びたいというのは大袈裟だとしても、キミの耳元でソッと囁きたいくらいの心境というのはほんとうなのである。「フゥ〜ボソッ、きつぇんしゃばんざぃ」と。

 嫌煙運動の締め付けが盛んな風潮のなか、書店で『5日で煙草がやめられる本』のような禁煙本、嫌煙本を購入したり、その本に書いてある喫煙の健康被害の項目を読んでは落ちこんだりと、僕も自虐的な日々を過ごしていました。あげくのはては、県が制定しようと目論んでいる禁煙条例の検討委員会の県民公募に応募してみたり(めんせつで鮮やかに落とされました)、一度自虐モードに陥ると、嫌煙思想のいいなりのような愚行を繰り返しておりました。

 ・・・しかし、ここ最近、書店の健康コーナーに目立つようになってきた愛煙本に今、非常に勇気づけられています。

 『タバコは栄養である』とかいうようなタイトルの本をはじめ、嫌煙の風潮に否定的な見解を述べた著作のオンパレードを目にして、僕は中途半端な禁煙もせず愛煙家でい続けた自分に「バンザイ」と言いたいのです。
 愛煙家的立場で書かれた本になど、今までは一冊もお目にかかったことはありませんでした。それがひとたび一冊でも愛煙の本を見つけると、続いて二冊、三冊と書店の棚に並んでいるのです。
 これらの本はたいがいが「一般に思われているタバコの健康被害については根拠がない」と主張しています。発ガン性とか、そのほかもろもろ。
 今までの本に書かれていたタバコの健康被害については僕はひじょ〜に気にしていました。

 「タバコを吸うと、フェロモンが出なくなる」

  
  ・・・えええ?まじで?

 「タバコを吸うと、インポテンツになる」


  ・・・そ、それはこまっちゃぅ

 などなど、これらの文章のおかげで何度禁煙を考えさせられたことか。(発ガン性とか肺の中真っ黒になっちゃうよ〜とかは、ぜんぜん気にしなかった)

 しかし、今回、愛煙の本が気持ちイイくらいにタバコの有益性(知能向上、ストレス解消効果のほか、いろいろある)を強調して書いてくれたおかげで、僕は安心したというわけです。安心したので思わず叫びたくなったというわけです。まあ、叫ぶというよりも囁くくらいしかできないわけですが。
 キミの耳元で「あ、あいしてる!!(タバコを)」と
 
 もう、まったくと言っていいほど、このブログを放置していましたね。

 私は昨年の春に占い師のライセンスを取得してから、少しずつではあるけれどプロの占い師としての活動をしています。西洋占術が主ですが。

 おいおい、いろいろと報告できればと思います。
 モダン・ヌーメロロジ−のセミナーに出席。ヌーメロロジーとは数秘術のこと。
 数による占いであるが、私の持つ数字は、神秘学や心理学や哲学の探求には良い数字なのだけど、すごく内向的っぽいので、もっと明るくなりたいと思った。読書好きで本ばっかり読んでいるって、当たっているよなあ。
 本当、活字追うのは好きですよ。常に何かしら読んでいたいですね。

 
 
 タロットによるカウンセリングセミナーに参加し、占いが実存に通ずるということに気がついた。

 今まで、実存と占いはなかなか結びつきにくい、と考えていた。実存主義では、「今、ここ」というような「瞬間」しか存在しない。過去・現在・未来といった時系列の時間の流れが存在せず、ただ「瞬間」があるのみである。したがって、占いで未来に想いを馳せる、というようなことはありえないのである。それこそ、自らが実存できていない、ということになってしまう。

 しかし、占いと実存がまったく相容れないかというと、そうではない。根底では共通している。
 タロットによるカウンセリングにおいて、自らの潜在的な問題がカードに表され、それにより現実に対処していくとき、意識と現実との境目は曖昧になり、現実は意識の延長上に現れるようになる。
 デカルトのように、自らの意識と外界とが分け隔てられているのではなく、タロットカウンセリングにおいては意識と現実とが融合している。ニューエイジ的な思想においてもそうであるが、「自らの想いが現実を創り出す」といったことにつながる。

 現象学においても、意識と世界は融合している。自らの意識の内に外界というものが溶け込んだかたちになる。意識と外界は対立するものではないのだ。ハイデガーの世界内存在では意識の延長上に世界があり、われわれは意識の内にあるものを世界に向かって投げ入れる。そうすることにより、自らの意識が世界の形を創り変えていくことになる。
 
 このように考えると、実存の在り方と、占いといったスピリチュアルなものとの間に根底での共通性が感じられることに気がつくのである。どちらも自らの意識と世界とが溶け合っているようで、自らの意識が現実を創り出すかたちになっているように思える。
 
 三次元の物質的存在として人間であることが、すべての苦しみの根源であると思ったのだが、この現世に僕が生まれてきたのならば、そこには意味があるわけで。
 
 地球人としてかつ日本という国に20世紀から21世紀にかけて生きているというのは、今この状況で生きることに意味があるわけだ。

 地球じたいが物質的な制約が大きいし、日本という国も制約だらけな国のような気がするけど、僕は日本に生きることでエキサイティングな人生を歩めるのであろう。

 輪廻転生のプロセスで魂の望んでいることを、そのまま現世で行なえばいいのだと思う。真の自分を思い出すとは、そういうことなのだ。
 自分のことをなかなか愛せなかったから、今の僕にとってはニューエイジ的な思想がとても支えになっています。愛を体験すべく、この三次元の世界に生まれた。自らは愛そのもの。私は愛。私は光。

 スピリチュアルな考え方をする人達でも「あなたは愛です」とか「あなたは光です」と言われると、なんだか薄っぺらで、そんな言葉ならば要らないと思う人は多いようだけど、「あなたは肥溜めです」と言われるのよりは、僕は自分を愛だと思いたいし、光だと思いたい。

 アセンションとかブームになっているけど、僕は五次元への進化うんぬんということよりも、今、この瞬間、今、ここという場所において、自分自身を肯定して自らが愛であるということを認めたいと思いました。まずは、そこからだ。

 
ニューエイジは白のイメージと鏡リュウジさんが言ってた。その中にネガティブさを含んでいないからだね。

そういう意味では、たしかにニューエイジは目を向けるべきところから目を逸らしている感もあるけど、それはそれで楽しい思想でいいじゃんなかなかニューエイジと思う。ハッピーで。

細木さんの指導でハッピーハッピーになった芸人もいるけど。
 帯津良一氏の代替医療についての講座に出た。ホメオパシーについてなどの話が中心だった。
 
 名前忘れたけど、イギリスのホメオパシーの第一人者の人は「レメディなんていらない。」と言って、「医者のエネルギーのみで患者の病気を治す」というようなことを語ったそうで、この言葉がすごく印象に残った。帯津氏もこの考え方に感心しているようだ。

 すごいなあ。医者という一人の人間の生命のエネルギーのみで患者を癒すとは。
 人間の力とは、本来、こういうものなのですね。
 
 打ち間違いとか多い。キルケゴールなのに、今まで、キルゲコールと書いていた。
 あと、よくわかんなくて、ニュートンの本がプリンキピアなのか、プリンピキアなのかごっちゃになってみたり。
 ベルクソンはこれでいいのかしら。本にはベルグソンと書いてあるけど。
 電車の中でショーペンハウアーの哲学書読んでいた女性とか、電車の中で日本経済新聞読んでいた女性とか、たぶん頭の良い女性に憧れるかもしれませぬ。

 電車の中で真剣な眼差しでショーペンハウアーを読んでいた女性は、若い子だったけど、目が哲学の目をしていた。・・・哲学の目っていったい?
 目が違うんだ。目が。あれは、なんとなく読んでいるのではない目だった。暇つぶしの読書ではない。
 『自殺について』だったかな?タイトルは。
この子は、ぜんぜん知らない人だけど、僕は、こういう子と話をしてみたいな、と思った。
 いったい、どういう考えをもっている子なのか。きっと、自分独自の哲学があるのかもしれない。
 ぜひ、考えていることを聞かせてもらいたい、そう思った。
 ショーペンハウアーを読んでいるなんて、ただ者ではない。かわいい顔をして、ペシミストなんだろうか?ペシミスト?ニヒリスト?

 とにかく、知的な女性には憧れてしまいます。
 スーパー戦隊シリーズがやはり好きで今でも欠かさず見ちゃっています。あ、たまに欠かしちゃってるときもあるけど。
 今日から、ゲキレンジャーが始まりました。中国拳法のような技を使う戦隊です。
 今度は3人だけなんだね。レッドとブルーとイエローの。昔でいうとサンバルカンみたいなものか。
 イエローの福井未菜ちゃんは早速気に入ってしまいました。かわいいです。経歴を見たら、日本拳法が実際にできるようです。
 
 今回は悪役のほうにも、かわいい子が出ていました。なんとなく小悪魔っぽいような、色っぽいような。なんとなく気になります。

 悪の戦闘員たちは、なんとなくキョンシーを思い出させるような雰囲気でした。っていうか、動きがほとんどキョンシ−と同じだ。
 作品も全体的に中国映画のような雰囲気だった。カンフーとか。

 ゲキレンジャーのエンディングの歌のなかに「道」という言葉が出てきました。「タオ」も出てきました。
 道、タオ、このようなフレーズが出てくるとは、なかなかです。老子の思想か。
 タオを求めるという姿勢。なにかを為す時には、その為そうとしているものの道、すなわちタオを求めると。
 なんだか、とてもタメになりそうです。福井未菜ちゃんの「日々これ精進、心を磨く・・・」という台詞も心に響きます。

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